まとめ

今日は適当に始めた"ブログがりがり書いてやろうウィーク"の最終日. というわけで今日は今週を振返ってみる記事を書くとしよう.


ブログを書いてみようとしたはいいが, 自分が基本的に無気力で非活動的なので, ネタ不足に慢性的に悩まされていた気がする. こんな人間が何故こうブログという形式で駄文を書き散らしているのかは謎だが, 人並に自己顕示欲はあるんじゃないかな.


裏話的なことも書いてやろう. 2日めに書いた ひかりのかべ - sTaguの虚数軸上 については"そういや碌に自己紹介もしてなかったし, (もう4年次だけど)ここいらで軽く自己紹介でもしようかな, "みたいなノリで書き始めたが, 結局"こんな人間の自己紹介, うざったい以外の何物でもない"という結論に達して現代オタクを dis る老害ブログになった可哀そうな記事であることはここに付記しておこう.


そういえば, 文章を書く, ということで文章の読み易さや表現にも注意してみた. 文字数も基本的に1000字前後で収まるよう校正した. そういう, 読み物的な面白さについては如何だっただろうか. 何かご意見を頂ければ, 何か変わるかもしれないし, そうでもないかもしれない.


という感じで, 1週間お付合いありがとうございました. 今後はまたド・不定期投稿に戻るが, 気が向いたら頭空っぽでもなんでも読んで頂ければ幸いである.


では.

アクマの数字?

世間では, "悪魔の数字"などといって忌み嫌われている数字がいくつかある. 例えば日本では "死" "苦" の語呂合わせから 4 や 9 が, 西洋では"最後の晩餐"で誰かエライ人(キリスト様だっけ)とみんなでご飯食べたときの人数である 13 が, ユダさん(?)が裏切ったことから縁起が悪いと言われているし, 666 がなんかどこかの悪魔と関係が深いとか聖書に書かれていたらしいので縁起が悪いとかなんとか言われている*1.

ただこういうの, 結局価値観の問題になってしまって, 私なんかは"4 とか 9 って平方数だしステキじゃない"とか思ってしまうから, そういうところで認識の乖離が発生しがちだ. まあこの話で揉めたことはないが.


数学史的な観点から話をすると, 数学の基礎を形作ったスゴーイ人にも宗教は超影響したみたいで, 現代にも時計などに残る60進法を作ったメソポタミア文明においては, 60 の約数でない最初の自然数である 7 が悪魔の数字にされていたり(現代人はラッキー7 なんて言うが), アラビアから伝来した 0 はかけ算の結果を何でも強制的に 0 にするから悪魔の数字って言われてたりする. 所謂 0 の悪魔.

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図1: 友情出演の"0 の悪魔"さん

そう考えると, 現代の学問は宗教的なしがらみがすごく薄くなっているので, 当時よか面倒臭くない環境なのかもしれない.


工学的に言えば, 悪魔だなんだ言わずどんな数字もデータとして機械的に処理すべきなんだろうが, それはそれとして小数点以下10ケタくらいあるボリューミーなデータは"どうせ丸めんのに..."みたいな気分になるからムカつく.


数字と生活の関り方にも色々あるんですね. それはそれとしてうまい締めとかオチが思いつかないので, このまま終わります. ではって言っとけばそれとなく終われると思うんで.




では.

*1:宗教史や美術史にはてんで詳しくないので, 間違っていたらご指摘頂ければ

旅行欲

ゆるキャン△2期の最終回を観ました. 4月に入ってからやるもんですから少々驚きましたが, 伊豆キャンをきっちり締めてくれて良かったです. 旅の終わり, じんわり来ますねぇ.


先日のブログでも書きましたが, 私は基本的に進んで外出する人間ではありません. しかし, 旅行ーもっというと一人旅ーについてはそこまで嫌いではありません. 事実, 昨年の今頃は山梨に行く予定がありました. 新型コロナウィルスの影響で断念せざるを得ませんでしたが.

一人旅といっても, そんなガチガチに旅程を組むわけでもなく, 行きたい場所や食べたいモノに目星だけつけてそれ以外は適当に, というゆるい思考をしています. 周りに大勢いらっしゃるガチ勢ほどではないですが, 鉄道に乗るのも好きなので, そこらへんの空気感も含めて楽しみたいですね.


最後にした旅行が3年前の夏に行った仙台旅行ですし, 自粛期間中ばっこりゆるキャン△を観てしまったもんですから, 旅したい欲はめちゃめちゃ溜まっています. ただ, 昨日それとなく悩んで, 来年の秋頃には20歳になって色々制約が外れると思われるので, じっくり旅行する分には来年の方が良いんでないか? という疑惑も挙がっています. そこんところ, どうなんですかね. その頃には編入試験 & 卒研進捗のダブルパンチを喰らっている頃でしょうか.


何にせよ, そろそろ旅に出たいですねー. すぐにとは言いませんがあと半年~1年後くらいには, 色々落ち着いていてくれるとありがたいです.

正直者はオオカミ少年の夢を見るか?

昨日はすごく無理矢理書いた感があるが, 今日はネタが転がっているので割と気が楽である.

そう, 今日 4/1 はエイプリルフールである.


エイプリルフールは1日(午前中?)嘘つき放題という日らしく, 今年もネット上で嘘の報告であるとかデマであるとかが飛交っていた. 或いは書くソシャゲでとんちきイベントを開催するなどしていた. 私は毎年某所でしょうもないエイプリルフールネタをやっていたが, 今年はネタがなかったのでやらなかった.


こんな日にこのような講釈を垂れるのは無粋だろうか, いや今日だからこそ敢えて言うべきなのか, 基本的に嘘をつくのもつかれるのも苦手だ. いや殆どの人間がそうであろうが. オオカミ少年関数*1的に信頼度が下がっていくので基本的には嘘をつかないでいられる人生を送っていきたいものである.


結局今日の記事も強引に捻り出したなあ.

これが人間性の薄さ.

*1:こんな関数はない. これも嘘? ジョークだと思うけどなあ

n回休み

新型コロナウィルスが我々の生活に影響を及ぼし始めてから, 早1年以上が経過した. 東京では緊急事態宣言は解除されたが, まだ感染拡大防止に予断を許さない状況である.


現在我々が通っている高専でも春季の長期休業にはなっているが, 外出自粛によって思うような休暇ライフを満喫できていない人々もいると思う. ただ, 長期休暇に引籠る達人として名高い(と自称している)私にとっては造作もないことである.
但し, 起きたらいつの間にか午後0時になってるもんだから"うわー寝すぎたわー, うわー..."とはなるので, ここでの 長期休暇に引籠る達人 とは呼んで字の通り"家から出ないことにおいては右に出る者はいない"的なニュアンスで捉えていただきたい.


さて, 絵に描いたような自堕落生活を送っている私の家の中での楽しみといえば, 何と言ってもご飯である. コンビニで適当に買って来た弁当やカップ麺の保存料などに塗れたケミカルなテイストが割と好きだったりする.


しかし, 伏兵も探せばいるものである. ほっともっとで食べる弁当は, 最近のマイブームである. 実はアレ, 下手にコンビニ弁当を買うよりお安い場合があるので驚愕する.
といっても, やはり基本的に歩きたくないので, 結局コンビニに帰結してしまうことが多い.


いきなり話は変わるが, 明日から4月である. 既に2021年も 25% が終了していると考えると末恐ろしい.

明日から新年度だし, 取敢えず資料の読込みから始めるか...

ひかりのかべ

世間から私がどう見られているかは知らないが, 私にも趣味がある.  例えば, 数学が好きだ.  音楽も好きだ.  

もっと踏込むなら, ポケモンが好きだし, ぷよぷよも好きだし, デレマスも好きだ.  

 
ここでの踏込むか否かは, その趣味を公言するかしないかのボーダーを超えているかいないかを意味する.  現に, ポケモンはともかくぷよぷよやデレマスが趣味だと知っていた同級生がどのくらいいただろうか.  


私の価値観.exe が2010年代前半でアップデートを停止していることもあり, "オタクないしオタク的な趣味は隠匿して過ごすべし"という現代オタクの DNA において廃れ去った行動理念がまだ現役で動いている. そのため, 特にそういう話を振られない限りは一般人を演じてきた. このような自分の生き方に多少の息苦しさを感じながら, かといって現代のオタク趣味でもなんでもひけらかしてしまおうという風潮に迎合するつもりは毛頭ない.
明らかに思想が老害のそれである.


どうにかこの壁を取除こうにも, 凝固まった頭ではどうしようもできない. "こいつ, もしや同じ趣味を持っているな?"と確信を持った相手ですらこちらから門を開けてやろうにも, どうしても奥手になってしまう.


今回の話を総括すると,


私にも皆と趣味の話をさせてくれ
という, 面倒くさいオタクの, 回りくどいラヴコール.


これだからオタクはダメだ.

そういえば, 卒業シーズン

そういえば, 私の同級生は既に高校を卒業し, 大学進学や企業への就職, 或いはその他の選択を何らか終えたわけである. 高専は5年制であるから長らく忘れていたが, 部活の先輩が卒業する実感が湧いたころに漸く思い出した.


ああ, もうそんな年なのか. 私は謎の感慨にふけっていた. 私は青春を中学時代の吹奏楽部に置いて行っているので, 音楽室で親交を深めた方々にメッセージアプリを用いて卒業を祝った. 既に進路を確定させた彼ら彼女らは人生の選択の執行猶予を頂いている我々高専生にとってある種先輩なのでは, という疑念はないわけではなかった.


...送ってしまった. 取返しはつかない. (吹奏楽コンクールが無くなった影響もあり)一昨年の夏以降碌に連絡も何もしておらず, それを抜きにしてもこの奇人に卒業を祝われるのはどうなのだろうか. そんな途方のないマイナス思考に陥りながら帰りの電車に乗っていた.


家に戻って泥のように眠り, 起きるとその日の夜更けだった. 寝ぼけ眼を擦ってスマートフォンの通知を確認すると, 返信が来ていた. どんな罵詈雑言が飛んできているのか, 恐る恐る確認してみると,




ウサギの墓場でイヌが泣いている絵文字


謎のぷにぷにしてそうな生物が躍っている絵文字




センチメンタル返せ.